お庭づくりの豆知識や、日々のこと
私の、座右の銘。『吾唯足知』について。
長州力は”革命戦士”のころ、色白で持ち肌だったな〜・・っと、
プロレス全盛期を思い返しているグッドツーガーデン の柴田進矢です。
#いつの間にか黒くなってたぞ!
#そういえば藤波辰爾(当時は辰巳)も色白で持ち肌だったな〜・・・
さて、今回は私の座右の銘について書いていきたいと思います。
皆様は座右の銘をお持ちでしょうか?
偉人たちの座右の銘を見てみると、
「自分が方向を変えれば 新しい道はいくらでも開ける。」 松下幸之助
「人を信じよ、しかし、その百倍も自らを信じよ。」 手塚治虫
「楽観はしない。ましてや悲観もしない。ひたすら平常心で。」羽生善治
「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。」 アメリカの哲学者 ウィリアム・ジェームズ
「世界ではなく、自分自身を征服せよ。」 フランスの哲学者 ルネ・デカルト
やはり偉人たちは、奥深い座右の銘を持っています・・。
そういう私も座右の銘がございまして、、それがタイトルにもありますが、
「吾唯足知」でございます。
読み方は、「ワレタダタルヲシル」。
LINE友達の人はご存知でしょうが、
プロフィールのステータスメッセージは、
「吾唯足知」としています。
#僕とトモダチになってください!
#ちなみにBGMはオレンジスパイニクラブのキンモクセイだぞ!
さて、この「吾唯足知」ですが、
実は京都の日本文化遺産にもなっている 龍安寺にある、つくばいに書かれている言葉です。
意味は?というと、
「われただたるをしる」を直訳すると、
「自分は満ち足りているということだけを知っている」
という意味になります。
「満足することを知っている人は、貧しくとも幸せであり、満足することを知らない人は、たとえお金持ちであったとしても不幸である」
と言うようなことでしょうか・・。
釈迦の教え「幸せ」の本質を言い表しているようです。
「貧しい人」とは何も持っていない人ではありません。
多くのありがたいものを持ちながら、それに気づこうともせず、まだまだ欲しいと飢えている人のことです。
何があれば足りるのか?どこまであれば足りるのか?
大切なのは“自分にとって”の足るを知るということ。
これが自分の物差しになり、方位磁石なると思うのです。
「足ることを知る」とは、
どうしたら自分が満足するのか、その理想像、自分自身をわかった上で、
現在の自分のポジションとレベル(自分ができること、できていること)知ることにより、
今どちらに向かって進んでいくと良いのかを知ることだと思います。
理想像があって、そこに到達できていないありのままの自分を素直に受け入れて精進する。
しかも、理想像は永久不滅のものではなく、自分が進歩すればさらに高い理想を描くので永久に到達できないもの。
それを知りながらも、少しでも近づけるように謙虚に修行する・・そうすることで成長する・・・
できること、できていることを知れば、その差分でできていないことが自ずとわかるわけですが、最初からできていないことを考えるのと、
できていることを知って、その差分でできていないことを知るのとでは意味が違う気がします・・・
・・・う〜ん、ややこしくなってきたので、私なりに整理します!
自分自身を知り、ありのままの状況受け入れ、おごることなく謙虚に邁進し、目標に向かって日々成長する。
以上はあくまで解釈です。
捉え方は人それぞれ!
釈迦の真意はわかりませんが・・
・・いや、わからなくてもいい。
一つ言えることは、52歳伸び盛り。
お後がよろしいようで・・。